DESIGN / BUSINESS

Theoretically bridging between design and business through designing essays

004 ひろがるデザインのなかで

最近留学地である豪・メルボルンにあるスウィンバーン工科大学で友人の専攻名から「拡張するデザイン対象」について改めて考えていた。スウィンバーン工科大では例えばCommunication Design(通称コミュデザイン)やInnovation Design(通称イノデザイン)Branded Environment Design(通称?)など一体何をデザインしているのかわからない名称を持つ学科が多い。また最近では他の国のデザイン教育機関を見渡しても一見判然としない学科名は多い。その背景には技術によって社会がより高度化・複雑化することで、デザインの対象物が「目に見えるもの」から「目に見えないもの」にも拡張したということが挙げられる。現にスウィンバーン工科大に設置されるコミュデザインやイノデザインも言葉のままに受け取れば、目に見えない「コミュニケーション」「イノベーション」という現象そのものをデザイン対象としていることがわかる。

 

>>>デザイン思考の憂鬱 ※前回003より

とりわけ個人的にはこの「現象名+デザイン」のフォーマットはデザイン実践(=手を動かすこと)をしないレイヤーが好んで利用する傾向にあると感じている。従ってこうしたある種”デザイン”という語の消費的利用は、デザイン実践(=手を動かすこと)をするレイヤーからはひどく嫌われることが多い。また事実としてデザイン思考の核は反復的な解決策の具現化による創発的学習プロセスにあるため、手を動かす人々の批判は最もであることは間違いない。

しかしながら「デザイン実践(=手を動かすこと)をしないレイヤー」とりわけ「ビジネスや政治における戦略を高度に組める人々」にも言い分がある。それは「手を動かす人々」が戦略的視座を持たず、具体的なゴール(状況)の達成にデザイン実践がどう繋がるのか考えられていないということである。例えば仮に手を動かして新たなプロダクトを生めるとしても、そのデザインプロセスでキャッシュがショートすればプロダクトのローンチは不可能であり、仮のそのプロダクトがローンチされようと市場における絶対的なスケール性が乏しい、もしは既存プロダクトとのカニバリズムなどが発生すれば今日の資本主義社会では無残に散ることとなる。

 

 

>>>拡張するデザイン対象

そこで今回は拡張するデザイン対象を自分なりに整理し「手が動かないレイヤー」「手しか動かないレイヤー」それぞれの批判の所在を考えてみた。(またこの整理にはなにか特定の学術的知見に基づくものではない。CMUのTransition DesignやTongji UniのDesign Xなどが頭にありつつ、あくまで筆者がスウィンバーン工科大に留学し、ふわふわと考えていた内容である)

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①タンジブルなデザイン対象:Graphic / Product

このデザイン対象はいわゆるクラシカルな「目に見えるデザイン対象」である。例えば2Dのデザイン対象物は「グラフィック」3Dのデザイン対象物は「プロダクト」に大きく区分でき、それぞれの技能を細分化、統合することで”インターフェイス”や”映像”などより具体的なデザイン成果物が立ち現れる。またストーリーという人工物も言葉によるクラシカルなデザイン対象物として考えることができる。

 

②イン=タンジブルなデザイン対象:Interaction / Communication / Relation

あるタンジブルなデザイン成果物によって設計される「目に見えないデザイン対象」。例えば駅の券売機という目に見えるデザイン成果物は、そのユーザーとの相互作用という目に見えない対象の設計に取り組んでいる。この「ユーザーとの相互作用」こそがイン=タンジブルなデザイン対象である。この例からもこのイン=タンジブルなデザイン対象は、機械(技術)と人とのやり取りが発生したことで立ち現れたデザイン対象であるといえる。

 

③サービスというデザイン対象:Service

複数のタンジブルなデザイン成果物によって生み出された、複数のイン=タンジブルな成果物の連続によって設計される「目に見えないデザイン対象」。例えば「新作映画」という目に見えるデザイン成果物に行き着くには、「TV広告」「映画公式サイト」「チケット予約サイト」「映画館の発券キオスク」「係員との会話」など諸々のタンジブルなデザイン成果物によって生み出される複数のイン=タンジブルなデザイン成果物の連続で成り立っている。この①と②の連続性をデザインの対象とするのがサービスである。

 

④システムというデザイン対象:Politics / Urban / Business 

複数のサービスというデザイン成果物によって設計される「極めて複雑で、目に見えないデザイン対象」。例えば「都市」は「交通機関上下水道・送電網・学校」など複数の「サービス」の構成によって設計される極めて複雑なデザイン対象であるといえる。

 

⑤設計しきれないデザイン対象:Society

複数のシステムというデザイン成果物によって設計される「極度に複雑で、設計しきれないデザイン対象」。

 

⑥結果として設計されるデザイン対象:The Earth

全てのデザイン成果物の結果、意図せず設計されたもの。地球、自然世界。

  

 

>>>デザインとビジネスを越境する

以上の拡張するデザイン対象の整理をもとに、ここでは「手が動かないレイヤー」と「手しか動かないレイヤー」それぞれの批判の所在を確かめ、具体的にデザインとビジネスを越境するにはそれぞれにどんなケイパビリティの醸成が求められているのかを自戒を込めて考えてみた。

 

①ビジネスからデザインへの越境 Tangibilityまで降りれる力

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デザイン思考、イノベーションデザイン、サービスデザイン、デザインストラテジーを”専門”とする人々はこのマップにおける上層に留まることが多い。その結果「目に見えるモノをつくる」というデザイン実践をなかなか行おうとせず、反復的な解決策の具現化による創発的学習プロセスというデザイン思考の本質が失われていることが多い。またそうした「手が動かない」ことは冒頭の通り「手が動く人々」から”口だけ”という批判を受けることは避けられない。そこで上流に留まる人(”ビジネスマン”)は真摯にその指摘を踏まえTangibilityのあるレイヤーまでしっかりと降りてくる力をつける必要があるかくゆう筆者も留学以前は強く上流に留まる傾向があったことを自覚している。しかしスウィンバーンのSystem & Service科目で繰り返し求められるグラフィックやアニメーションのデザイン実践を経験し、改めてTangiblityのあるレイヤーで思考を走らせることの重要性を理解し、現在もそれに努めている。

 

②デザインからビジネスへの越境:Strategibilityまで昇れる力

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逆に手を動かすことができる、いわゆるクラシックなデザイナー(UI/UXデザイナーを含む)はあくまで「使いやすい、新しい、きれい、便利」などにデザイン実践が留まり、Strategibilityのラインを超えることをあまり得意しない。その結果、ビジネスでいえばデザイン成果物が最終的な【売上を上げる】【コストを下げる】という目的の遂行に戦術としてフィットせず、戦略的視座から批判を受けるもしくは資本主義社会に撲殺される可能性がある。(デザイン・ストラテジー・フィット?) そこで”デザイナー”は「つくれる」ことに自己陶酔して下流に留まることなく、真摯にStrategibiltyの線を越えられる力をつける必要がある。なおこのStrategibiltyのラインははビジネスのみならず都市や政治をデザインする際にも超える必要のある厚い壁である。

 

しかしこの越境はそう簡単ではない。より複雑になる人工物の様相を前提にTangibiltyを生み出しつつ、Strategibilityを着実に超えられる両利きになるため愚直に学ぶしかない。英プレミアリーグアーセナルにはサンティ・カソルラというサッカー選手がいる。彼はフリーキックコーナーキックを両足で蹴る非常に稀なサッカー選手だ。カソルラはいかにして両利きのケイパビリティを得たのか。そんなことをメルボルンで考えていた。