DESIGN / BUSINESS

Theoretically bridging between design and business through designing essays

003 デザイン思考の憂鬱

#001では長々とその歴史的系譜から本来の「デザイン思考」のシニフィアンを明らかにし、#002ではその「デザイン思考」がいかにビジネス世界に流入し、イノベーションという語と強く紐付いてある種の神話的な理解の存在を指摘した。

 

>>> Design Thinking is Bullshit

事実”デザイン思考”を鬱陶しくデザイナーは少なくない。その理由には①第一にビジネス世界で”デザイン思考”を謳うレイヤーは実際にプロトタイピングを含む反復的なデザイン実践がほとんどできない(いわゆる手を動かさない)ケースが多いこと②第二にデザイン行為は本質的に表現的なものが含まれるため、デザインプロセスの体系化を図るような考え方そのものに嫌悪感があるということの2つが推測できる。

 

とりわけ、この第一の "第一にビジネス世界で”デザイン思考”を謳うレイヤーは実際にプロトタイピングを含む反復的なデザイン実践がほとんどできないケースが多い" という批判的視座は主に前回まとめたビジネス世界におけるデザイン思考の誤解と深く関連していることは自明であり、デザイン思考を語り、実践する全ての人が念頭に置くべき点である。なぜならこの「手を動かさない」問題はデザイン思考の核を全く捉えてないことと同義だからである。

 

また第二の "デザイン行為は本質的に表現的なものが含まれるため、デザインプロセスの体系化を図るような考え方そのものに嫌悪感がある" という理由についても筆者は概ね同意する。デザイン思考に関するスライドや記事では決まって英・Design Councilや米・スタンフォード大学d.schoolの”デザイン思考モデル”のダイアグラムが引用され、その様はデザインという創造行為がもつ「楽しさ」や「豊かさ」を無味乾燥なものに感じさせる。 

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そしてこれらの視座はデンマーク・Design School Koldingにいらっしゃる方のMediumで、より一人称の視点をもって語られている。Design School Kolding までの軌跡(希望編)

 

 

>>> それでもデザイン思考というシニフィエを使う意義

従って筆者は”デザイン思考とはなにか”といったタイトルが多くのデザイナーに嫌われるものであることを重々承知したうえで、そのタイトルをこれまでの2本の記事で付けてきた。

 

そしてその理由もまた先に参照した方のMediumでそのワークショップでの実体験から述べられている。

Hirano「もし、メソッドを使わないでつくったデザイン(成果物)とメソッドを使ってつくったデザイン(成果物)が結果的に同じなら、メソッドを使う意味ってないと思うだけど?どうなの?何が違うの?同じものができるなら使わなくっても良くない?」

Thomas「そもそも、お前はどうやってデザインの価値を伝えるつもりなんだ!クライアントは、すぐ簡単にデザインができると思っているんだぞ!メソッドを使うという意味は、デザインプロセスを開示するというところにあるんだ!メソッドを使わずにつくったデザイン(成果物)とメソッドを使ってつくったデザイン(成果物)の最終的な資料の厚みを考えてみろ、どっちにクライアントが価値を置くと思う?どっちにお金を払いたいと思う?お前がクライアントだったら、どっちのデザイナーと仕事したいと思うか、考えてみろ!」

...イノベーションを起こすとか、アイデアを発想するとか、ビジネスにデザインを利用するとか、誰でもデザイナーのようになるためとか、そういった次元、そういう類の「Design Thinking」じゃないぞ!


これはデザインの価値を伝えることで「デザイナーの価値を守るための方法と方法論だったんだ!」と僕は本当に本当に本当に驚きました! 

つまり筆者はデザイン思考」もしくは「デザインシンキング」というシニフィエは、デザイン行為というブラックスボックス化したものを非デザイナーに開示し、納得してもらうために非常に重要なものであると考えている。その点からビジネス世界で先のようなダイアグラムをもって、デザイン思考が提示されることは一概に害悪なものではないと言うことができる。しかしそうしたダイアグラムや説明のあり方は、非デザイナーのみならず多くのデザイナーにも「”デザイン思考” = デザインという創造行為の体系化」という印象を与えてしまうことも事実である。だからこそ筆者は、デザイン思考のシニフィエをもってその正しいシニフィアンを届けるには、ホルスト・リッテル (Horst Rittel)の「意地悪な問題(Wicked Problems)」を素地に話を進めることが極めて大切であると考えているが、残念ながらデザイン思考というシニフィエが出現する場で「意地悪な問題」という文字を目にすること、音を耳にすることはほとんどない。

 

 

>>> ビジネス世界におけるデザイン思考の嫌悪

ここまでは主にデザイン思考がデザイナーによって忌み嫌われるわけを考察したうえで、それでも「デザイン思考」というシニフィアンを使う意義を考えた。しかし筆者は実はビジネス世界においても"Design Thinking is Bullshit"という嫌悪が存在するのではないかと考える。

 

筆者はその背景に、「本来の意味でのデザイン思考を主導できるデザイナー人材の論理的な説明能力の不足」が存在すると考えている。くどい言及になるが、デザイン思考では「つくることを通じて、意地悪な問題を理解する」というコンセプトがその中核に存在する。しかしながらこうした思考を常としないビジネスパーソンにはこのコンセプトはそう簡単には届かない。だがデザイナーはそうしたオーディエンスを前に極めて論理的にデザインプロセスを説明する責任が生じる。そして不運にも多くのデザイナーにとって、その論理的なデザインプロセスの開示もまた簡単なものではない(*ここでいう「論理的なデザインプロセスの開示」はエスノグラフィリサーチやユーザーテストで得た潤沢な画像や映像素材のデータを提示することによる「共感的なデザインプロセスの開示」を含む)その意味でデザインプロセスをドキュメンテーションすることはデザイナーがその身をのちのち守るために極めて重要な行為であることは間違いない。

 

また「本来の意味でのデザイン思考を主導できるデザイナー人材の論理的な説明能力の不足」には、そのデザインプロセスの論理的な説明のみならず、ビジネスとしての論理的な説明能力もその指摘の範疇にある。基本的にビジネスで利益を上げる方法は【①売上を上げる】もしくは【②コストを下げる】の2つしか無い。もちろんこれはどちらかだけにフォーカスすればいいケースもあるが、基本的にはこの2点をどちらも考える必要があるケースがほとんどである。しかしながら、例えばデザイナーによるUIのリ・デザインのプレゼンテーションどれだけのデザイナーがこのどちらかの点で論理的な説明をしているかは定かではない。またビジネスの世界でデザイナーが主導する新規事業開発もしくイノベーション創出プロジェクトで、どれだけのデザイナーがクライアント企業の既存事業を視野に入れ、ポートフォリオ管理など観点からデザイン・アウトカムを論理的に説明しているかは定かではない。そもそも企業にとって新たな市場を切り開く新規事業の実行は極めてリスクが高いにもかかわらず、一体どうして作りん込んだデザイン・アウトカムの提示だけで経営幹部を動かすことができるだろうか。(*仮に年間でFacebookAirbnbなどのような社会に大きなインパクトを与えるデザイン・アウトカムを数個も意図的に生み出せるデザイナーもしくはエンジニアであればビジネスとしての論理的な説明能力の欠如は大した問題ではない。)

 

こうした意味でデザイナーのような思考を常としないビジネス世界の人材にはデザイナーとは「なんかモノを作ってくれる人」「奇抜なアイデアを発想してくれる人」という理解の範疇を超えることができないどころか、近年のビジネス世界におけるデザイン思考へ嫌悪感を抱く人がいても全くおかしくはない。

 

デザイン思考は憂鬱だ。