DESIGN / BUSINESS

Theoretically bridging between design and business through designing essays

004 ひろがるデザインのなかで

最近留学地である豪・メルボルンにあるスウィンバーン工科大学で友人の専攻名から「拡張するデザイン対象」について改めて考えていた。スウィンバーン工科大では例えばCommunication Design(通称コミュデザイン)やInnovation Design(通称イノデザイン)Branded Environment Design(通称?)など一体何をデザインしているのかわからない名称を持つ学科が多い。また最近では他の国のデザイン教育機関を見渡しても一見判然としない学科名は多い。その背景には技術によって社会がより高度化・複雑化することで、デザインの対象物が「目に見えるもの」から「目に見えないもの」にも拡張したということが挙げられる。現にスウィンバーン工科大に設置されるコミュデザインやイノデザインも言葉のままに受け取れば、目に見えない「コミュニケーション」「イノベーション」という現象そのものをデザイン対象としていることがわかる。

 

>>>デザイン思考の憂鬱 ※前回003より

とりわけ個人的にはこの「現象名+デザイン」のフォーマットはデザイン実践(=手を動かすこと)をしないレイヤーが好んで利用する傾向にあると感じている。従ってこうしたある種”デザイン”という語の消費的利用は、デザイン実践(=手を動かすこと)をするレイヤーからはひどく嫌われることが多い。また事実としてデザイン思考の核は反復的な解決策の具現化による創発的学習プロセスにあるため、手を動かす人々の批判は最もであることは間違いない。

しかしながら「デザイン実践(=手を動かすこと)をしないレイヤー」とりわけ「ビジネスや政治における戦略を高度に組める人々」にも言い分がある。それは「手を動かす人々」が戦略的視座を持たず、具体的なゴール(状況)の達成にデザイン実践がどう繋がるのか考えられていないということである。例えば仮に手を動かして新たなプロダクトを生めるとしても、そのデザインプロセスでキャッシュがショートすればプロダクトのローンチは不可能であり、仮のそのプロダクトがローンチされようと市場における絶対的なスケール性が乏しい、もしは既存プロダクトとのカニバリズムなどが発生すれば今日の資本主義社会では無残に散ることとなる。

 

 

>>>拡張するデザイン対象

そこで今回は拡張するデザイン対象を自分なりに整理し「手が動かないレイヤー」「手しか動かないレイヤー」それぞれの批判の所在を考えてみた。(またこの整理にはなにか特定の学術的知見に基づくものではない。CMUのTransition DesignやTongji UniのDesign Xなどが頭にありつつ、あくまで筆者がスウィンバーン工科大に留学し、ふわふわと考えていた内容である)

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①タンジブルなデザイン対象:Graphic / Product

このデザイン対象はいわゆるクラシカルな「目に見えるデザイン対象」である。例えば2Dのデザイン対象物は「グラフィック」3Dのデザイン対象物は「プロダクト」に大きく区分でき、それぞれの技能を細分化、統合することで”インターフェイス”や”映像”などより具体的なデザイン成果物が立ち現れる。またストーリーという人工物も言葉によるクラシカルなデザイン対象物として考えることができる。

 

②イン=タンジブルなデザイン対象:Interaction / Communication / Relation

あるタンジブルなデザイン成果物によって設計される「目に見えないデザイン対象」。例えば駅の券売機という目に見えるデザイン成果物は、そのユーザーとの相互作用という目に見えない対象の設計に取り組んでいる。この「ユーザーとの相互作用」こそがイン=タンジブルなデザイン対象である。この例からもこのイン=タンジブルなデザイン対象は、機械(技術)と人とのやり取りが発生したことで立ち現れたデザイン対象であるといえる。

 

③サービスというデザイン対象:Service

複数のタンジブルなデザイン成果物によって生み出された、複数のイン=タンジブルな成果物の連続によって設計される「目に見えないデザイン対象」。例えば「新作映画」という目に見えるデザイン成果物に行き着くには、「TV広告」「映画公式サイト」「チケット予約サイト」「映画館の発券キオスク」「係員との会話」など諸々のタンジブルなデザイン成果物によって生み出される複数のイン=タンジブルなデザイン成果物の連続で成り立っている。この①と②の連続性をデザインの対象とするのがサービスである。

 

④システムというデザイン対象:Politics / Urban / Business 

複数のサービスというデザイン成果物によって設計される「極めて複雑で、目に見えないデザイン対象」。例えば「都市」は「交通機関上下水道・送電網・学校」など複数の「サービス」の構成によって設計される極めて複雑なデザイン対象であるといえる。

 

⑤設計しきれないデザイン対象:Society

複数のシステムというデザイン成果物によって設計される「極度に複雑で、設計しきれないデザイン対象」。

 

⑥結果として設計されるデザイン対象:The Earth

全てのデザイン成果物の結果、意図せず設計されたもの。地球、自然世界。

  

 

>>>デザインとビジネスを越境する

以上の拡張するデザイン対象の整理をもとに、ここでは「手が動かないレイヤー」と「手しか動かないレイヤー」それぞれの批判の所在を確かめ、具体的にデザインとビジネスを越境するにはそれぞれにどんなケイパビリティの醸成が求められているのかを自戒を込めて考えてみた。

 

①ビジネスからデザインへの越境 Tangibilityまで降りれる力

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デザイン思考、イノベーションデザイン、サービスデザイン、デザインストラテジーを”専門”とする人々はこのマップにおける上層に留まることが多い。その結果「目に見えるモノをつくる」というデザイン実践をなかなか行おうとせず、反復的な解決策の具現化による創発的学習プロセスというデザイン思考の本質が失われていることが多い。またそうした「手が動かない」ことは冒頭の通り「手が動く人々」から”口だけ”という批判を受けることは避けられない。そこで上流に留まる人(”ビジネスマン”)は真摯にその指摘を踏まえTangibilityのあるレイヤーまでしっかりと降りてくる力をつける必要があるかくゆう筆者も留学以前は強く上流に留まる傾向があったことを自覚している。しかしスウィンバーンのSystem & Service科目で繰り返し求められるグラフィックやアニメーションのデザイン実践を経験し、改めてTangiblityのあるレイヤーで思考を走らせることの重要性を理解し、現在もそれに努めている。

 

②デザインからビジネスへの越境:Strategibilityまで昇れる力

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逆に手を動かすことができる、いわゆるクラシックなデザイナー(UI/UXデザイナーを含む)はあくまで「使いやすい、新しい、きれい、便利」などにデザイン実践が留まり、Strategibilityのラインを超えることをあまり得意しない。その結果、ビジネスでいえばデザイン成果物が最終的な【売上を上げる】【コストを下げる】という目的の遂行に戦術としてフィットせず、戦略的視座から批判を受けるもしくは資本主義社会に撲殺される可能性がある。(デザイン・ストラテジー・フィット?) そこで”デザイナー”は「つくれる」ことに自己陶酔して下流に留まることなく、真摯にStrategibiltyの線を越えられる力をつける必要がある。なおこのStrategibiltyのラインははビジネスのみならず都市や政治をデザインする際にも超える必要のある厚い壁である。

 

しかしこの越境はそう簡単ではない。より複雑になる人工物の様相を前提にTangibiltyを生み出しつつ、Strategibilityを着実に超えられる両利きになるため愚直に学ぶしかない。英プレミアリーグアーセナルにはサンティ・カソルラというサッカー選手がいる。彼はフリーキックコーナーキックを両足で蹴る非常に稀なサッカー選手だ。カソルラはいかにして両利きのケイパビリティを得たのか。そんなことをメルボルンで考えていた。

003 デザイン思考の憂鬱

#001では長々とその歴史的系譜から本来の「デザイン思考」のシニフィアンを明らかにし、#002ではその「デザイン思考」がいかにビジネス世界に流入し、イノベーションという語と強く紐付いてある種の神話的な理解の存在を指摘した。

 

>>> Design Thinking is Bullshit

事実”デザイン思考”を鬱陶しくデザイナーは少なくない。その理由には①第一にビジネス世界で”デザイン思考”を謳うレイヤーは実際にプロトタイピングを含む反復的なデザイン実践がほとんどできない(いわゆる手を動かさない)ケースが多いこと②第二にデザイン行為は本質的に表現的なものが含まれるため、デザインプロセスの体系化を図るような考え方そのものに嫌悪感があるということの2つが推測できる。

 

とりわけ、この第一の "第一にビジネス世界で”デザイン思考”を謳うレイヤーは実際にプロトタイピングを含む反復的なデザイン実践がほとんどできないケースが多い" という批判的視座は主に前回まとめたビジネス世界におけるデザイン思考の誤解と深く関連していることは自明であり、デザイン思考を語り、実践する全ての人が念頭に置くべき点である。なぜならこの「手を動かさない」問題はデザイン思考の核を全く捉えてないことと同義だからである。

 

また第二の "デザイン行為は本質的に表現的なものが含まれるため、デザインプロセスの体系化を図るような考え方そのものに嫌悪感がある" という理由についても筆者は概ね同意する。デザイン思考に関するスライドや記事では決まって英・Design Councilや米・スタンフォード大学d.schoolの”デザイン思考モデル”のダイアグラムが引用され、その様はデザインという創造行為がもつ「楽しさ」や「豊かさ」を無味乾燥なものに感じさせる。 

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そしてこれらの視座はデンマーク・Design School Koldingにいらっしゃる方のMediumで、より一人称の視点をもって語られている。Design School Kolding までの軌跡(希望編)

 

 

>>> それでもデザイン思考というシニフィエを使う意義

従って筆者は”デザイン思考とはなにか”といったタイトルが多くのデザイナーに嫌われるものであることを重々承知したうえで、そのタイトルをこれまでの2本の記事で付けてきた。

 

そしてその理由もまた先に参照した方のMediumでそのワークショップでの実体験から述べられている。

Hirano「もし、メソッドを使わないでつくったデザイン(成果物)とメソッドを使ってつくったデザイン(成果物)が結果的に同じなら、メソッドを使う意味ってないと思うだけど?どうなの?何が違うの?同じものができるなら使わなくっても良くない?」

Thomas「そもそも、お前はどうやってデザインの価値を伝えるつもりなんだ!クライアントは、すぐ簡単にデザインができると思っているんだぞ!メソッドを使うという意味は、デザインプロセスを開示するというところにあるんだ!メソッドを使わずにつくったデザイン(成果物)とメソッドを使ってつくったデザイン(成果物)の最終的な資料の厚みを考えてみろ、どっちにクライアントが価値を置くと思う?どっちにお金を払いたいと思う?お前がクライアントだったら、どっちのデザイナーと仕事したいと思うか、考えてみろ!」

...イノベーションを起こすとか、アイデアを発想するとか、ビジネスにデザインを利用するとか、誰でもデザイナーのようになるためとか、そういった次元、そういう類の「Design Thinking」じゃないぞ!


これはデザインの価値を伝えることで「デザイナーの価値を守るための方法と方法論だったんだ!」と僕は本当に本当に本当に驚きました! 

つまり筆者はデザイン思考」もしくは「デザインシンキング」というシニフィエは、デザイン行為というブラックスボックス化したものを非デザイナーに開示し、納得してもらうために非常に重要なものであると考えている。その点からビジネス世界で先のようなダイアグラムをもって、デザイン思考が提示されることは一概に害悪なものではないと言うことができる。しかしそうしたダイアグラムや説明のあり方は、非デザイナーのみならず多くのデザイナーにも「”デザイン思考” = デザインという創造行為の体系化」という印象を与えてしまうことも事実である。だからこそ筆者は、デザイン思考のシニフィエをもってその正しいシニフィアンを届けるには、ホルスト・リッテル (Horst Rittel)の「意地悪な問題(Wicked Problems)」を素地に話を進めることが極めて大切であると考えているが、残念ながらデザイン思考というシニフィエが出現する場で「意地悪な問題」という文字を目にすること、音を耳にすることはほとんどない。

 

 

>>> ビジネス世界におけるデザイン思考の嫌悪

ここまでは主にデザイン思考がデザイナーによって忌み嫌われるわけを考察したうえで、それでも「デザイン思考」というシニフィアンを使う意義を考えた。しかし筆者は実はビジネス世界においても"Design Thinking is Bullshit"という嫌悪が存在するのではないかと考える。

 

筆者はその背景に、「本来の意味でのデザイン思考を主導できるデザイナー人材の論理的な説明能力の不足」が存在すると考えている。くどい言及になるが、デザイン思考では「つくることを通じて、意地悪な問題を理解する」というコンセプトがその中核に存在する。しかしながらこうした思考を常としないビジネスパーソンにはこのコンセプトはそう簡単には届かない。だがデザイナーはそうしたオーディエンスを前に極めて論理的にデザインプロセスを説明する責任が生じる。そして不運にも多くのデザイナーにとって、その論理的なデザインプロセスの開示もまた簡単なものではない(*ここでいう「論理的なデザインプロセスの開示」はエスノグラフィリサーチやユーザーテストで得た潤沢な画像や映像素材のデータを提示することによる「共感的なデザインプロセスの開示」を含む)その意味でデザインプロセスをドキュメンテーションすることはデザイナーがその身をのちのち守るために極めて重要な行為であることは間違いない。

 

また「本来の意味でのデザイン思考を主導できるデザイナー人材の論理的な説明能力の不足」には、そのデザインプロセスの論理的な説明のみならず、ビジネスとしての論理的な説明能力もその指摘の範疇にある。基本的にビジネスで利益を上げる方法は【①売上を上げる】もしくは【②コストを下げる】の2つしか無い。もちろんこれはどちらかだけにフォーカスすればいいケースもあるが、基本的にはこの2点をどちらも考える必要があるケースがほとんどである。しかしながら、例えばデザイナーによるUIのリ・デザインのプレゼンテーションどれだけのデザイナーがこのどちらかの点で論理的な説明をしているかは定かではない。またビジネスの世界でデザイナーが主導する新規事業開発もしくイノベーション創出プロジェクトで、どれだけのデザイナーがクライアント企業の既存事業を視野に入れ、ポートフォリオ管理など観点からデザイン・アウトカムを論理的に説明しているかは定かではない。そもそも企業にとって新たな市場を切り開く新規事業の実行は極めてリスクが高いにもかかわらず、一体どうして作りん込んだデザイン・アウトカムの提示だけで経営幹部を動かすことができるだろうか。(*仮に年間でFacebookAirbnbなどのような社会に大きなインパクトを与えるデザイン・アウトカムを数個も意図的に生み出せるデザイナーもしくはエンジニアであればビジネスとしての論理的な説明能力の欠如は大した問題ではない。)

 

こうした意味でデザイナーのような思考を常としないビジネス世界の人材にはデザイナーとは「なんかモノを作ってくれる人」「奇抜なアイデアを発想してくれる人」という理解の範疇を超えることができないどころか、近年のビジネス世界におけるデザイン思考へ嫌悪感を抱く人がいても全くおかしくはない。

 

デザイン思考は憂鬱だ。

002 デザイン思考とはなにか ―ビジネスにおける競争の型から

今回も前回に引き続きビジネス世界においてバズワードとなっている”デザイン思考”に焦点を当てる。とりわけ今回は昨今のビジネス世界においてなぜ”デザイン思考”がバズワードになり得たのか。この点について経営学領域において展開された理論を素地に考察する。なおここでの「デザイン思考」は前回「デザイン思考とはなにか ―デザイン方法論の系譜から」で示した概念を指す。従って本項は「デザイン思考」をよりビジネスの視座に基づいて考察した内容である。

 

>>> 競争の型|ジェイ・B・バーニー

”デザイン思考”はビジネス世界におい”イノベーション”というワードとともに取り扱われることが多い。また”イノベーション”というワードも近年コンサルティングファームのレポートや様々なコラムで幾度も登場している。そこで今回は経営学の領域で構築された理論を素地に、イノベーションとデザイン思考について考える。

 

今日の”イノベーション”ブームは、1986年ジェイ・B・バーニー (Jay B Berney)によって著されたTypes of Competition and the Theory of Strategy: Toward an Integrative Frameworkで示された「競争の型」を知ることで、適切に理解できる。

 

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バーニー による市場における競争は主に3つの区分されるとした。1つ目は産業が数社によって寡占された産業で、各社が参入障壁・移動障壁を高めることで競争優位の確立を目指すIO型(Industrial Organization)。2つ目は比較的参入障壁が低く、各社は独自の強みを活かして他者と差別化を図ることで競争優位の確立を目指すチェンバレン型。3つ目はイノベーションによって産業構造が大きく変動する不確実性の高い環境で、各社はイノベーションを創造することで競争優位を築こうとするシュンペーター型である。

 

シュンペーター型の競争を例を挙げて説明するとすれば、フィンランドノキア(NOKIA)だ。ノキアはかつて世界の携帯電話市場で一時は4割のシェアを誇った名企業だ。しかしながら現在そのノキアはもう携帯電話の製造・販売を行っていない。その背景には容易に想像できるように「スマートフォン」という新たな製品の登場と、アップルやサムスン電子の台頭がある。こうしたイノベーションによって市場の競争構造そのものが大きく変わってしまう競争こそがシュンペーター型競争なのである。そして不幸にもこうしたイノベーションの出現は予測がつかない。従ってシュンペーター型の競争は「不確実性が高い競争」として説明されるのである。

 

 

それぞれの競争における「戦略」という観点では、IO型では基本的に外部環境が自社の競争に対する行動を規定するためSCP理論(Structure-Conduct-Performance)に基づく戦略、チェンバレン型では内部資源が重要と成るためにRPV(Resource-Based View)理論に基づく戦略が適合性が高いといえる。そしてシュンペーター型では自社がいかにイノベーションを創出し、まだ見ぬ競争相手より優位に立つかが重要なため「イノベーションという戦略」が求められるといえる。

 

とりわけ製品がソフトウェアまたはサービスであるIT産業は、その製品の市場投入のしやすさ、模倣のしやすさから、シュンペーター型競争の代表的な産業であるといえる。また仮にハード製品であってもリバース・エンジニアリングによる模倣と二次創作や、クラウドファンディングによる資金調達の敷居低下、デジタルファブリケーションによる生産設備とコストの縮小などを背景にその「イノベーションの起こりやすさ」は上がっているといえる。

 

この今日の市場における「イノベーションの起こりやすさ」の上昇は、結果として多くの企業を否応なくシュンペーター型競争に組み込む。すると各企業は”イノベーション”を声高に叫ぶようになった。これが今日の”イノベーション”が多くのコンサルティングファームのレポートやWebコラムで反吐がでるほど登場する所以だ。

 

 

>>> デザイン思考とイノベーション

ではなぜこの空前の”イノベーション”ブームに、「デザイン思考」が引っ張り出されたのか。その背景を特定することは難しいが、米・デザインコンサルティングファームIDEOの存在が大きいことは明らかだ。IDEOは1991年にDavid Kelly Design /  ID Two / Matrix Product Designという3つのデザインファームが合併することで誕生した企業である。強くつながりのあったアップルの躍進や、ハーバードビジネスレビューやビジネスウィークなど著名なビジネス雑誌の掲載を通じてその存在が周知された。IDEOもしくはデザイン思考がビジネス世界のハートを掴んだ背景には、まさしくこのIDEOもしくはデザイン思考が広く紹介された1990年代後半はインターネットの登場により「イノベーションの起こりやすさ」が急上昇した時代であることが挙げられる。多くのビジネスパーソンはこの”イノベーション”ブームにおいて、”イノベーションを起こす体系的な手法”のように取り沙汰された「デザイン思考」に飛びついたのである。

 

しかしながらもちろんイノベーションの創造は、なんらかの体系的な手法が存在する「飼いならされた問題」ではなくむしろ「意地悪な問題」である。意地悪な問題にアプローチするデザイナーの生得的な思考プロセスという本来の意味での「デザイン思考」はここで失われ、”デザイン思考”としてビジネス世界で広がることとなった。

 

この流れを追うと、多くのビジネス世界で【デザイン思考 = 人間中心設計(Human-Centred Design)】や【デザイン思考 → イノベーション創出】という不可解な認識が広まったワケが明らかとなる。IDEOは確かにデザインアプローチとして人間中心設計を大事にしている。またこの人間中心設計はとりわけ今日のデジタル化の産業において、ユーザーに満足度の高い経験を製品として構築するために優れた一つの手法であることは間違いない。しかしながらIDEOで言えばその人間中心設計を実現するために、領域横断的なチーム、深いリサーチ、プロトタイプの絶え間ないサイクルが重んじられており、このサイクルこそが「デザイン思考」の本来のシニフィアンである。

 

また本来の意味でいうデザイン思考であれ、それがイノベーションを創出するかどうかはわからない(不運にも一部に信仰される漸進的な人間中心設計はシュンペーター型競争で勝つような急進的なイノベーションは起こせないと示唆されている)。デザイン思考はイノベーションを創出するにあたり、1つの有効な考え方もしくはアプローチに過ぎない。なぜそれが有効なのかといえば、デザイン思考は「意地悪な問題」を自覚した数少ないアプローチであり、イノベーションの創出もまた「意地悪な問題」の1つであるからである。

 

 

 

001 デザイン思考とはなにか ―デザイン方法論の系譜から

「デザイン思考」というワードは特にビジネス世界において昨今バズワードである。 一部の企業ではその方法論のインスールを急務としているが、果たして「デザイン思考」なるものがいかにして明らかになり、注目され、有用なのか、そうした議論は日本では特に少ない。 こうしたワードに敏感なビジネスマンと議論や共同研究を積むたび、デザイン思考は実践者の多くでさえ「IDEOが作ったイノベーションを起こす方法」「人間中心設計(Human-Centred Design)アプローチによるイノベーション開発」程度にしか理解されていないのが現実であるように筆者は感じている。筆者はこのデザイン思考への浅い理解度は、むしろデザイン思考をビジネスの現場にインストールすることにおいてリスクになっていると考えている。なぜならその浅い理解では急進的な解決案(アイデア)をつくることはできないし、ましてや十分に満足できる課題解決すらできない可能性があるからだ。

ここでのデザイン思考の定義は「デザイナーの問題解決プロセス=思考」であり、つまりはデザイナーの方法論 (Design Method)を指すことにする。 従ってデザイン思考の歴史的潮流を概観することは、デザイン方法論の歴史的な流れを概観することであるといえる。 今回はビジネスに応用されたデザイン思考を議論の中心に据えるため、学術領域としてのデザインリサーチ (Design Research)に関わる今日までの変遷には直接触れない。

 

>>> 1960s:初期デザイン方法論「分析―統合―評価」

デザイン方法論の歴史は1964年にインペリアル・カレッジ・ロンドン (Imperial College London)で開催された学会「The conference on systematic and intuitive methods in engineering, industrial design, architecture and communications *1」がはじまりだと一般的にいえる。この学会を皮切りにデザインが学術対象 (Science)として扱われるデザインリサーチ (Design Research)というものが立ち現れたためである。当時のデザイン方法論に関する大方の合意は予めリストのように並べられた条件を全てクリアすれば問題は解決できる(デザインできる)という「分析ー統合ー評価」のプロセスであった。この学会を取り仕切る一人であったジョン・クリストファー・ジョーンズ (John Christopher Jones)*2も当時こうしたデザイン方法論を発表していた。このプロセスは一般に工学的 (Enginnering)と呼ばれるものであると筆者は理解している。

  

>>> 1970s|意地悪な問題 (Wicked Problems)

しかしながら社会が高度化し、よりデザインする対象が複雑な様相になることで先に決めた課題リストのみのクリアを目指す「分析ー統合ー評価」型のデザイン方法論(問題解決プロセス)は自然と立ち行かなくなる。この現実社会の問題の極度の複雑性ついて言及していたのが1973年のホルスト・リッテル (Horst Rittel)である。リッテルによって著された 「Dilemmas in a General Theory of Planning *3」では科学 (Scienece)はこれまで「飼いならされた問題 (tame problems)」にアプローチして唯一無二の最適解を導き出してきていることを述べ、デザインの対象である現実世界の問題はより複雑であり唯一無二の最適解 (optimal solution)など存在しない「意地悪な問題 (Wicked Problems)」であること述べている。この意地悪な問題と呼んだ現実世界の問題の性質をリッテルは以下の10点で示した。

 

1. 解決という行為は新たな問題理解をたらしてしまう

ある問題に対する理解は、解決しようとすることでも生じてしまう。

Problem understanding and problem resolution are concomitant to each other. (p161 *3)

 

2. 解決に関して”ここでおわり”というものがない

永久に完全解決できないために論理的に「おわり」を決められない。従って「予算がない」「この解決案でいい気がする」のような非論理的な理由で問題解決を終えなければならなくなる。

 

3. 解決に関しては”真か偽か”ではなく”良いか悪いか”である

Their assessments of proposed solutions are expressed as “good” or “bad” or, more likely, as “better or worse” or “satisfying” or “good enough.” (p163 *3)

解決案が算数(◯1+1=2, ☓1+1=3)のように「正しかった・間違えていた」ではなく、「良い感じがする・悪い感じがする」という満足度の尺度しかあり得ない。

 

4. 解決案に関して完全な検証はできない

実行した解決案がどこにどんな影響を及ぼしているかは完全にわからないために、問題に対しての解決案を完全に検証することは出来ない。

 

5. 解決案を一度実行すると、その問題はより複雑になる

一度問題解決案を実行してしまうと、それは問題そのものに新たな変数を与えていることになるのでより問題が複雑化する。例えて言うならば⌘Zをして一個前の状況に戻るということができないこと。(この例えが分かる人もいれば、わからない人もいると思うが。)

 

6. どんな解決案が問題解決に一番効くかわからない

問題を完全に分析して認識することができないためどんな解決案が一番ポテンシャルがあるのかはわからない。逆に言えば思わぬ解決案がブレイクスルーをもたらす可能性がある。

 

7. 全ての問題が固有であるため分類できない

全ての意地悪な問題はそれでしかあり得ないため、教科書のように「◯◯のパターン」といったように問題を分類化して、解決に直接役立てることができない。

 

8. 全ての問題は他の問題の前兆である。

Thus “crime in the streets” can be considered as a symptom of general moral decay, or permissiveness, or deficient opportunity, or wealth, or poverty, or whatever causal explanation you happen to like best. (p165 *3)

例えば「夜道での強盗」はそれ自体が問題だが、この問題は同時に「貧困」や「教育」「警察機能」など様々な問題の前兆にもなっている。

 

9. 問題がいかようにでも説明ができるため、その説明の仕方が解決案の方向を左右してしまう

前述の性質の通り、ある問題はある問題に結びついているため、もともとの問題をどう説明するかによって何にアプローチするのか変わってしまう。

 

10. 意地悪な問題に取り組む者は、解決案に責任を負うことになる

学術的な世界ではある理論がある理論に取って代わられても、否定された理論を提唱したものは決して責められない。しかしながらこうした「意地悪な問題」に取り組む者は、以上のような9つの「意地悪な」性質あるにもかかわらず、その解決案の実行に責任を負うことになる。

 

まずこの「意地悪な問題」から言及したいのは、”デザイナー”という仕事が「ただかっこいい見た目を作る人達・ただかわいい見た目を作る人達」ではないということだ。デザインを専門とするということはこうした「複雑に絡み合い永久に完全解決できない問題を解決しようとする人達」として考えられているのである。

たこの「意地悪な問題」の自覚こそがビジネスの現場でデザイナーのような思考プロセスを構築する”デザイン思考”が有用たる所以なのだが、実際それが広く知られていることは少ない。

 

>>> 1980s|デザイナーの思考プロセスの解明「一次生成案」

先述の通りデザイナーは特に1970年以降「意地悪な問題に取り組む人達」になっていた。正直この「意地悪さ」を自覚して問題解決している人種は少ない。ビジネスの領域ではロジカルシンキングの一つの手法としてMECE (Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)を用いて問題を理解しようとする。しかしながら実際、経営コンサルタント達が取り組む問題において関連する要素をそもそもすべて洗い出すことができるだろうか。実際それは難しいだろう。すなわち経営課題やビジネスでの問題解決は唯一無二の最適解が導出できる「飼いならされた問題」ではなく「意地悪な問題」なのである。だからこそビジネスにデザイナーの思考を応用すべきなのだ。

「意地悪な問題」を自覚したデザイナーがいかにしてその解決案の導出を行っているのか。これを知ることはビジネスにおいてデザイン思考を具体的どう活用するのかを示してくれる。デザイナーの具体的な問題への取り組み方についての議論がデザイン方法論史でされ始めるのは主に1980s以降である。

そうしたマクロなデザイン方法論に関する議論をここでは1980年に英・シェフィールド大学 (University of Sheffield)建築学部教授ブライアン・ローソン (Bryan Lowson)によって著された『How Designers Think *4』からスタートする。ローソンは同大学のジェーン・ダーク (Jane Darke)によってすでに一年前示していた建築家の思考プロセス「一次生成案(primary generator)*5」を前提に、デザイナーや建築家が解決策志向 (solution-oriented)の問題解決プロセスを持つことを科学的に実証した。

ダークによって示された「一次生成案(primary generator)」とは建築家が複雑に絡み合った条件をクリアするためにプロセスの早い段階で起こすアイデア(スケッチや模型なり)のことで、ダークは建築家の観察とインタビューからこの存在を明らかにした。この一次生成案(primary generator)はいまでいうと”プロトタイピング”という語とほぼ同義であると考えていいだろう。

Thus a very simple idea is used to narrow down the range of possible solutions, and the designer is then able rapidly to construct and analyse a scheme. (*4 p46)

たこの複雑で難しい「意地悪な問題」に取り組む建築家やデザイナーの一次生成案というプロセスの独自性は、先述の通りローソンのより科学的な実験から実証されることとなる。建築学科に所属する学部生(最高学年)と心理学専攻の大学院生を対象にしたこの実験では、まず各学生グループに複数の色がついた様々な形状のブロックを大量に渡し、それを用いて縁が赤または青で揃った平面1面を作るように指示した(つまり平面の内側に違う色があっても構わない)。この問題の解決プロセスにおいてより科学的な思考傾向のある心理学専攻の大学院生は平面を作り得るブロックのパターンをできるだけ多く試すことで、まずは「平面をつくる」という問題を解決した後、「色を合わせる」という次の問題解決フェーズに移行したという。しかしながら建築学科の学生たちはまずは適当に1色を選び、それで1色で揃えた縁をもつ平面らしきものつくり、その後に完全な平面をつくるのに不足していた部分を他の色で組み合わせていったという。この実験から前者は問題志向型 (problem-oriented)で後者の建築家としての思考は解決志向型 (solution-oriented)であることをローソンは実証したのだ。

こうしてローソンが証明したことはつまり、デザイン思考というものは問題の所在の議論は早々にひとまず終え、とりあえずの解決案 (solutionまたはprototype)という仮説を投げることで、不明瞭だった意地悪な問題の要素を明らかにすることを繰り返す思考のあり方であるということだ。したがって「デザイン思考=エスノグラフィ」や「デザイン思考=ポストイットを用いた会議」のような理解は決して間違いとは言わないが、甚だ本来のそれとは遠い。繰り返すと「デザイン思考」にはどんなクオリティであるかの議論は差し置いておくにせよ、解決策という仮説の生成(多くは物理的)がなければそれはデザイン思考ではないのである。

この「一次生成案」というデザイナーの思考プロセスの発見は1984年にもドナルド・A.ショーン (Donald A Schön)『The reflective practitioner (省察的実践とは何か―プロフェッショナルの行為と思考 ) *8』でも「省察的実践 (reflective practice)」として繰り返しまとめられた。 デザイン思考 (Design Thinking)という言葉そのものは1987年ピーター・G・ロウ (Peter G Rowe)の「Design Thinking*9」よって根付くこととなる。

 

>>> 1990s|機械と人間の関係性のデザイン「人間中心設計 (Human-Centred Design)」

1980s後半以降から2000年にかけてデザイン方法論の議論は「機械と人間の関係性」におもにフォーカスした「人間中心設計 (Human Centered Design)」が隆盛する。日本ではしばし「ユーザー中心設計 (User Centered Design)」と「人間中心設計 (Human Centered Design)」が区別せずに用いられることもあるが、これは歴史的な流れを追うことでしっかりと区別することができるのではないかと筆者は考える。

ユーザー中心設計の源流は、1945年以後アメリカで起こった戦後の大規模工場を背景とした大量生産・大量消費の社会モデルにある。大量生産・大量消費を前提とした社会でのデザインはその生産効率性の観点からある程度の「規格化」が求められていた。そこで開発されたのが規格人体・エルゴノミクス(Ergonomics)である。これは1950年代にル・コルビジェ (Le Corbusier)によって提唱されていた人体寸法と黄金比から算出された建築基準数列である「モジュロール (Modulor)」の考えから派生した工業規格である。こうしたデザイン方法論はまさに先に述べた1960年代のデザイン方法論の合意であった「分析ー統合ー評価」プロセスの具体例である。そして一般にこの領域は人間工学 (Human Engineering)として今日も存在しており、これをデザインの文脈で語るとユーザー中心設計 (User Centered Design)にあたる。この人間工学の世界では「規格化された身体寸法」のほかに、ヒューマンファクター (Human Factor)という規格化しうる人間の生理反応や心理反応を考慮するというもう一つの派生元が存在しており、前者は主にヨーロッパから、後者は主にアメリカから生まれたものである。ここで言及しておくべきなのはユーザー中心設計というデザイン方法論はすなわち、やや「意地悪な問題」を無視するように”ユーザー”というフレームをかませることで「飼いならされた問題」としてデザインを取り扱ったということだ。

ユーザー中心設計というデザイン方法論は先述の通り1980s後半から1990年に現れたものではない。特に大量生産・大量消費の社会モデルが現れることで、その潮流が流れ始めている。今回冒頭に紹介した「The conference on systematic and intuitive methods in engineering, industrial design, architecture and communications」ももとはといえば、効率的な生産に向けてデザイン方法論を検討しようというものであったため、このユーザー中心設計は1960年的なものと言える。また、ここで同時に確認できるののは近代以後のデザインを語るにおいてそれは工学 (Engineering)と切っても切れない関係にあるということである。

しかしながら「人間中心設計 (Human Centered Design)」は先のユーザー中心設計と異なり、デザイン方法論としての登場は1980s後半から1990年といえる。1980年後半から新たなデザイン対象として現れたのがパーソナルコンピュータをはじめとする「一般人向けの機械」である。専門的知識を持たない人々でも高度な機械を生活に取り入れることが可能になったのがこの時代である。その代表例がGUI (Graphical User Interface)である。GUIとは操作に専門的なコマンド入力を行うこれまでのパーソナルコンピュータと異なり、現在のPCのようにマウスでアイコンをクリックするといった、より直感的で簡単な操作のことである。こうしたアマチュア向けの機械が社会に登場することで、デザイナーはこれまでのモノ単体または画面 (User Interface)のデザインから「経験 (User Experience)」や「関係性」といったより不確実で複雑なデザイン対象の拡張を余儀なくされたのである。一般にこの「機械と人間における経験や関係性のデザイン」という領域はインタラクション・デザイン (Interaction Design)*と呼ばれている。(*工学領域でもHCI=Human Computer Interactionという類似分野が存在する)この言葉を生み出した人物こそ1991年にIDEOを設立したうちの一人であるビル・モグリッジ (Bill Mogriddge)であり、この領域に必然的にアクセスすることになったのが複合プリンター機を製造していたゼロックス社 (Xerox)である。ゼロックス社がカルフォルニアに開設したパロ・アルト研究所(Palo Alto Research Center / Xerox PARC)ではこのプリンターの画面(インターフェース)と使用者との関係性の問題を探るため、実際にその使用者を開発の現場に招き入れ、文化人類学(Cultural Ethnogpaphy)の専門家・手法を用いて分析を行った。これが今日ビジネスにおけるデザイン思考においてメジャーになっている手法の一つ「エスノグラフィ (より正しく言えばDesign EthnographyまたはRapid Ethnography)」の走りにあたる。しかしながらここで重要なのはこのエスノグラフィではない。デザインのプロセスに実際の使用者を招き入れたことが重要なのである。これまではモノを作る側と使う側は「デザイナーとユーザー」として明確に分けられていた。しかしながら、デザイン対象がモノから経験へ拡張する中で、デザイナーはより複雑になった問題を解決するプロセスにユーザーを招き入れざるを得なくなったのである。言い換えればこれまでユーザーと呼ばれていた人々がデザインプロセスにおいてデザイナーのように参加することになったのである。ここまでくれば「ユーザー中心設計」 と「人間中心設計」の差分は明確ではないだろうか。前者は”ユーザー”と呼ばれる人の規格を決めてしまい、その条件をクリアすることを目標にしていたものであり、後者はデザインプロセスに”ユーザー”を招き入れることで彼らがどのように機械操作に迷いや誤った判断をしているか参考にしたうえでプロトタイプを生成し、さらに彼らにそれをテストしてもらうことでより良いデザインを生み出そうとしたものなのである。言い換えれば前者はやや1960年代のデザイン方法論の毛色が強く「飼いならされた問題」へアプローチしているもの、後者はより「意地悪な問題」へアプローチしているものといえる。筆者はユーザー中心設計の知見(特に人間工学的なもの)が今日に全く役立たないとは言わないが、やはりやや限界があるデザイン方法論といえると考えている。

このユーザー中心設計から人間中心設計への昇華の歴史において欠かせない人物がドナルド・ノーマン (Don Norman)である。彼が著した1986年の『User Centered System Design: New Perspectives on Human-computer Interaction』や1988年の『The Design of Everyday Things』ではユーザーによるエラーを最小限にするデザインを実現するためにエンドユーザーを設計プロセスへ招き入れる方法論として「ユーザー中心設計」の概念が唱えられている。言葉こそ「人間中心設計」ではないが、ここでのノーマンの主張は「ユーザーの理解を理解する」というものであり、1960年代のような「ユーザーの規格を決めてユーザーを理解する」というものでなかった。この「ユーザーの理解を理解する」ということは後にクラウス・クリッペンドルフによって「二次的理解 (Semantic Turn)*」として説明されることとなるが、この二次的理解を実現するためにデザインプロセスに使用者を招き入れるデザイン方法論こそが「人間中心設計」なのだ。

またユーザーという単語を消費者に置き換えれば、「消費者の理解を理解する」ということになる。これはすなわちニーズより深いレベルで消費者を理解し、彼らから消費につながる洞察 (Insight)を得るということに意味する。まだ誰も知らない消費者の洞察を獲得し、それを適切に実現できればそれは必然的に革新的または市場にインパクトを残す製品やサービスとなる。このことをコンサルティング企業として証明したのがIDEOを始めとした企業であり、ビジネスにおいてデザイン思考が結びついた背景である。従ってデザイン思考は経営学(またはビジネス)の領域から生まれたのではない。デザインの分野からその方法論がビジネスに応用されただけのものなのである。

ビジネスにおけるデザイン思考は「エスノグラフィなどを用いた人間中心設計」と理解されている傾向があるが、それは正しい説明ではない。1980sの議論を踏まえると今日のビジネスにおけるデザイン思考の正しい説明は「プロトタイプを前提として意地悪な問題にアプローチし、人間中心設計をおこなうこと」なのである。

  

>>> 2000s-|脱人間中心設計 (Post Human-Centred Design)

「製品から経験へ」というデザイン対象の拡張は留まることを知らない。またインターネット前提社会の今日においてその社会変化のスピードは過去のそれとは比べ物にならず、その不確実性は増大する一方である。こうした社会のなかで1990s後半から現在までデザイン方法論は様々な語り口があると筆者は考える。(当然先述した時代もその記述の視点には様々あるとは思われるが)しかしながら、筆者はこうした「拡張し続け、極度に複雑化するデザイン対象」というものを前提に、ビジネスにおける応用されるデザイン思考として①急進的デザイン方法論 ②エコシステムデザイン方法論 (オープンデザイン論的?)という2つで切り口で語りうる脱人間中心設計 (Post Human-Centred Design)を以後ぜひ検討したい。ただここからはの新たな話は本記事の趣旨とはずれるばかりか、ここから新たな議論を始めるのにはあまりにも無謀すぎるので、以後の記事のネタとしてとっておきたい。

 

 

<Bibliography>

-水野大二郎(2014)「学際的領域としての実践的デザインリサーチ―デザインの、デザインによる、デザインを通した研究とは

-水野大二郎,筧康明,連勇太朗(2016) 「10+1 web site|スペキュラティヴ・デザインが拓く思考──設計プロセスから未来投機的ヴィジョンへ|テンプラスワン・ウェブサイト

-*1 Imperial College London(1962) The conference on systematic and intuitive methods in engineering, industrial design, architecture and communications

-2John Christopher Jones(1970)「Design Methods

翻訳・池辺陽(1973)「デザインの手法―人間未来への手がかり

-*3 Horst Rittel, Melvin Webber(1973) 「Dilemmas in a General Theory of Planning

-Rikke D,Teo Yu Siang(2017)「Design Thinking: Get a Quick Overview of the History | Interaction Design Foundation

-Nigel Cross(1982) 「Designerly Ways of Knowing

-*4 Bryan Lowson(1980) 「How Designers Think」*同タイトルで1990年に書籍として販売されている。

-*5 Jane Darke(1979)「The Primary Generator and the Design Process

-*6 Herbert A. Simon(1969)「The Science of Artificial

翻訳・稲葉元吉/吉原英樹(1999)「システムの科学

-*7 Robert Mackim(1973)「Experiences in Visual Thinking

-*8 Donald A Schön(1984)「The reflective practitioner

翻訳・柳沢昌一/三輪建二 (2007)「省察的実践とは何か―プロフェッショナルの行為と思考

-*9 Peter Rowe (1987)「Design Thinking

翻訳・奥山健二(1990)「デザインの思考過程

Peter Rowe (1987)「Design Thinking

翻訳・奥山健二(1990)「デザインの思考過程

-Donald A Norman(1986)「User Centred System Design: New Perspectives on Human-Computer Interaction

-Donald A Norman(1988)「The Design of Everyday Things

翻訳・岡本明/安村通晃/伊賀聡一郎/野島久雄(1990)「誰のためのデザイン?

-Klaus Krippendorff(2005)「The Semantic Turn: A New Foundation for Design

翻訳・小林昭世(2009)「意味論的転回―デザインの新しい基礎理論

-慶應義塾大学SFC水野大二郎研究室(2016)「Transition Design for Solving Sociotechnical Problems | 複雑化するデザインの未来を語る

-Mark Stickdorn/Marc Stickdorn/Jakob Schneider(2012)「This is Service Design Thinking

監修/翻訳・長谷川敦士/武山政直/渡邉康太郎/郷司陽子「THIS IS SERVICE DESIGN THINKINGー領域横断的アプローチによるビジネスモデルの設計

-Terry Irwin, Cameron Tonkinwise, Gideon Kossoff(2016) 「Transition Design: An Educational Framework for Advancing the Study and Design of Sustainable Transitions

-Donald A Norman(2016)「DesignX: Complex Sociotechnical Systems

-IDEO(2016) The Circular Design Guide